2022.12.08
新型コロナウイルス感染症の拡大によって、これまでの医療政策や経済政策の脆弱さが露呈しました。その反省を踏まえた今、各国で医療や経済の政策を見直す動きが出ています。その中で、日本では2021年に岸田政権が発足し、経済政策の方針「新しい資本主義」を提唱しました。
この記事では岸田政権が打ち出す「新しい資本主義」についてわかりやすく解説し、特にヘルスケア領域のデジタルトランスフォーメーション(DX)に関する政府の計画をご紹介します。
目次
「新しい資本主義」におけるヘルスケア戦略
2022年6月、政府は「新しい資本主義」の具体案を発表しました。その中でも「経済財政運営と改革の基本方針 2022 (骨太の方針2022)」や「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」には、ヘルスケア領域における今後の構想が含まれています。
新自由主義によって起きた諸問題の解決を目指す「新しい資本主義」
「新しい資本主義」は、1980年代からの約20年間の新自由主義にもとづく政策によって生じた諸問題を乗り越えるために、岸田政権が打ち出した経済方針です。
新自由主義は、経済を市場原理や競争にまかせる考え方で、グローバル化による世界経済の発展につながったとされる一方、経済格差の拡大、都市部の人口集中、市場の失敗など、さまざまな問題を生んだという指摘があります。
そこで、政府は「新しい資本主義」の方針として、経済成長のための4つの重点的な計画に投資する計画を発表しました1)。
<経済成長のための4つの重点的な計画>
- 人への投資
- 科学技術・イノベーションへの投資
- スタートアップへの投資
- GX(Green Transformation)およびDX(Digital Transformation)への投資
これらの項目に、ヘルスケアに関する成長戦略が盛り込まれています
「新しい資本主義」のもとで進められるヘルスケア戦略への期待
少子高齢化による医療従事者の不足や医療費の増大など、従来から存在する諸問題に加えて、コロナ禍においては対面での診療が困難な状況もあり、医療業界では今、デジタル技術への期待が急速に高まっています。
政府が打ち出したヘルスケアに関する計画には、以下のようなDX関連の政策が含まれています2)3)。
<政府が推進するDX関連の政策>
- PHR(Personal Health Record)の普及
- ライフコースデータの収集と連携のための環境整備
- 病院・保健所・介護事業所などのデジタル化 など
PHRとは、患者自身が、これまで医療関係者のみが見られた医療データをアプリなどで保有できるものです。また、PHRを使うことで、健診結果や病院を受診した記録、自分で計測した血圧データなどを別の病院や薬局で共有することもできます。これにより患者の主体的な健康管理に役立つとともに、医療従事者の業務負担を減らすことにもつながると考えられています。
ライフコースデータは、学校検診・乳幼児検診・病院のレセプト・要介護認定など、出生から死亡までの継続した個人の医療情報のことです。これまでバラバラに管理されていた情報を一元化することで、国は医療費を含む、予防や医療の政策を立てやすくなります。また、こうしたデータを加工して、先端医療の研究に活かしたり、新しい産業を作り出したりする計画が進められています。
コロナ禍では、特に日本のデジタル化の遅れが指摘されました。内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム」では、患者情報を医療ビッグデータ化してAIで分析することで医療現場に役立てる「AIホスピタルシステム」の開発を行っています。達成すれば医療従事者の負担を減らし、医療費の効率化につながることでしょう。また、海外に遅れをとっている医薬品・医療機器・医療情報産業の国際的な競争力を高めることも目的の一つです4)。
このように「新しい資本主義」ではとりわけDXが推進されています。DXによって医療従事者の負担を減らし、医療費などの政策を立てやすくし、新しい産業の発展につながることが期待されているのです。
ヘルスケア領域におけるDX投資
経済産業省はDXを「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」5)と定義しています。
ここでは、ヘルスケア分野のDXの例として、オンライン診療について説明します。
コロナ禍で進むオンライン診療の医療DXとしての可能性とは
「新しい資本主義」では、ヘルスケア分野のDXが推進されています。オンライン診療は在宅医療・健康管理のための医療DXの一例で、コロナ禍での時限的な措置として、初診における規制が緩和されたことを皮切りに、急速に広まりつつあります。
東京都では、都知事が認めた医療機関に対するオンライン医療相談の補助事業を始めました。企業では、JMDC社(メルプWEB問診)、メドレー社(CLINICSオンライン診療)、エムスリー社(LINEドクター)、エムティーアイ社(CARADAオンライン診療)、メドピア社(first call)、メディカル・データ・ビジョン社(オンラインドクターバンク)などがオンライン診療サービスに取り組んでいます。
オンライン診療の大きなメリットの一つは、在宅での診療を可能にし、患者と医療従事者双方の負担を軽減することです。
その一方、国はオンライン診療の安全性を担保するために、さまざまな指針を出しています。医師は、医学的な適応(妥当な治療であるか)の判断に加え、患者に対して診療に伴うさまざまなリスクの説明をする必要があります6)。また、医療情報の保管のためのセキュリティ対策や、PHRを使用する場合の安全管理などの確認が求められています7)。
さらに、オンライン診療にはこうした医療としての視点と同時に、経済的な観点があります。
アメリカでは、オンライン診療を含む遠隔医療を利用したメディケア制度(公的保険制度)の利用者は、COVID-19が感染拡大する前の2019年3月からの1年間では約91万人でしたが、次の1年間では約2825万人に急増したという報告があります8)。
また、米国の遠隔医療の市場は2020年には309億ドルを超え、2027年には896億ドルに達すると予測されるなど、経済効果も期待されているのです8)。
このようにオンライン診療には、コロナ禍で起きた医療の問題を解決すると同時に、経済成長につながる医療DXとしての可能性があると考えられています。
国が「新しい資本主義」政策でヘルスケアに注目する背景には、人、科学技術・イノベーション、スタートアップ、DXへの重点的な投資という政府の方針があるのです。
まとめ
岸田政権で掲げられている「新しい資本主義」では、特に医療・ヘルスケア分野のDX(デジタル・トランスフォーメーション)が推進されています。PHRの普及、オンライン診療、医療のデジタル化などにより、医療や社会問題の解決と同時に、新しい価値の創造による経済成長が期待されています。
<参考資料>
1) 内閣官房「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案) 〜人・技術・スタートアップへの投資の実現〜」令和4年6月7
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai9/shiryou1.pdf
(2022年8月30日参照)
2) 内閣府「経済財政運営と改革の基本方針 2022 (骨太方針2022)新しい資本主義へ 〜課題解決を成長のエンジンに変え、持続可能な経済を実現〜」令和4年6月7日
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2022/2022_basicpolicies_ja.pdf
(2022年8月30日参照)
3) 内閣官房「第2回新しい資本主義実現会議 議事要旨」令和3年11月8日
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai2/gijiyousi.pdf
(2022年8月30日参照)
4) 内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局
「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP) AI(人工知能)ホスピタルによる高度診断・治療システム 研究開発計画」令和3年5月26日
https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/keikaku2/10_aihospital.pdf
(2022年8月30日参照)
5) 経済産業省「DX 推進指標とそのガイダンス」令和元年7月https://www.meti.go.jp/press/2019/07/20190731003/20190731003-1.pdf
(2022年8月30日参照)
6) 厚生労働省「オンライン診療の適切な実施に関する指針」平成30年3月 (令和4年1月一部改訂)
https://www.mhlw.go.jp/content/000889114.pdf
(2022年8月30日参照)
7) 厚生労働省「『経済財政運営と改革の基本方針2022』、『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画』 及び『規制改革実施計画』の概要について」(第89回社会保障審議会医療部会)令和4年8月17日
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000976105.pdf
(2022年8月30日参照)
8) 独立行政法人 日本貿易振興機構 市場開拓・展示事業部 海外市場開拓課 ニューヨーク事務所
「米国におけるデジタルヘルス市場動向調査」2022年3月https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2022/cba9066cb65f4ce5/202203.pdf
(2022年8月30日参照)